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サムライ吉田安孝がサンフレッチェ広島を斬る!

2006年 4月 12日 「善人」が大嫌い!?

 笑顔の絶えない人、常に感謝の気持ちを忘れない人、みんなの喜ぶ顔が見たい人、いつも前向きに生きている人、自分の仕事に「誇り」をもっている人、「けじめ」を大切にする人…。これらは、大部分の日本人が好む理想的な人物だと思います。しかし、この本ではむしろ、そういう人物のみを「嫌い」のターゲットにした、チョットひねくれた、いや、なかなか面白い、そして、かなり納得のいく捉えかたをしています。

 書店で、この本の表紙を見たとき、著者の中島義道氏の人間性を疑ってしまいました。だって、氏の嫌いな「10人の人びと」というのは、僕の理想的な人物像であるから。いや、むしろ大部分の現代日本人が好きと言うのではないでしょうか。それを、この大学教授ったら大嫌いだと…。しかし、本を読んでいくと、かなりの部分で納得できました(好き嫌いが分かれると思いますが…)。

 著者の嫌いな人とは、さしあたり物事をよく感じない人、よく考えない人ということです。「よく」とは自分固有の感受性をもって、自分固有の思考で、という意味です。ですから世間の感受性に漠然と合わせていたり、世間の考え方に無批判的に従っているような人は嫌いだということです。どんな思想をもってもいいのですが、当人がその思想にどれだけ自分固有の感受性に基づいて考え抜き、鍛え抜いているかが大切である、と。つまり、その労力に手を抜いている人が嫌いなのです。いちばん手抜きがしやすい方法は、しかも安全な方法は、大多数と同じ言葉を使い、同じ感受性に留まっていることです。その典型的な1例が、卒業式の「はなむけの言葉」。小学校の卒業式以来、聞いてきたこの言葉、いったい何人の人が忘れずに覚えているでしょうか? ほんのわずかでしょうね。なぜか? それは、言葉を発する者が無難で定型的な言葉を羅列しているだけだから。そういう言葉は聞く者の身体に刺さってきません。

 では、ひねくれ者?の著者が、大学教授として卒業生へ贈った「はなむけの言葉」はどうか?

 「しばらく生きてみればわかるが、個々人の人生それぞれ特殊であり、他人のヒントやアドバイスは何の役にも立たない。人生の諸先輩の「きれいごと」は、おみくじほどの役にも立たない。私は人生の先輩としてのアドバイスは何ももち合せておらず、ただ私のようになってもらいたくないだけであるから、あえて言うこともない。ただ、1つだけ「お願い」。どんな愚かな人生でも、乏しい人生でも、醜い人生でもいい。死なないでもらいたい。生きてもらいたい」(52頁)。

 こんなストレートな「はなむけの言葉」、一生忘れないでしょうね。