今日の産経新聞文化面の「断」というコーナーに、作家・高山文彦氏の面白いコラムが載っています。
「結果」という言葉をアスリートたちがよく使います(僕もその1人です)。
「プロは結果がすべて」、「結果が出せなくて悔しい」、「結果が出せてよかった」、などなど。では、負けは「結果」ではないのか?うまくできなかったのは、「結果」ではないのか? いま使われている「結果」には、「勝利」の意味しかないようで、その使い方が貧弱であると高山氏は言っています。
このような言い方をするようになったのは、バブル期あたりからで、今や、アスリートはおろか、投資家や企業家、受験生までがこんな言い方をするようになったそうです。これは、言葉が貧しくなったのではなく、人間が貧しくなったのだ、と。
何気なく使っている「言葉」も、よくよく考えてみるとヘンな使い方をしているもんですね。僕もよくテレビやラジオで、「結果を出せ!」と、エラそうに言ったりしているような…? これじゃ〜ダメなんですよね。
「勝利という結果を出せ!」、でなくっちゃ〜。
「今シーズン未だ結果の出ていないサンフレッチェ、次節・磐田戦で求められるのは結果のみ」。
これを、高山氏が好むように言い換えるとこうなるのかなぁ?
「今シーズン未だ、引き分けと負けの結果しか出ていないサンフレッチェ、次節・磐田戦で求められるのは勝利という結果のみ」。
ちょっと、クドくな〜〜〜〜ぃ!?