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サムライ吉田安孝がサンフレッチェ広島を斬る!

2007年1月23日 恩師・今西和男さん


株式会社サンフレッチェ広島顧問の今西和男氏が、2007年1月31日をもって退任いたします。

僕自身、これまでの40年間の人生において、幸運にも多くの素晴らしい恩師に出会った事で、今の自分が形成されている、と思っています。その1人が、今西和男さんです。今西さんとの出会いは、僕が田辺製薬サッカー部に在籍していた時になります。田辺製薬は当時、JSL(日本サッカーリーグ)2部に所属し、マツダ(後のサンフレッチェ広島)と同じリーグで対戦していました。その僕が、どういう経緯でマツダに移籍したのかを少し述べさせてもらいます。

僕が大学(東海大学)を卒業し、田辺製薬に入社して2年目のシーズン終了時のことです。会社の業績不振により、サッカー部の活動が休止されたのです。本来、仕事とサッカーの両方をやりたい、という思いで田辺に入社した僕でしたが、その当時、日本サッカー界にもプロリーグ設立の話が本格化しており、僕自身、気持ちの中で変化が生じていました。「プロサッカー選手としてサッカー1本で挑戦してみたい!」と。そんな思いでいた僕に対し、真っ先に声をかけてくれたのが今西さんでした。「プロリーグ(Jリーグ)で一緒にサッカーをやらないか?」と。

実は、僕が大学を卒業した時に今西さんから、マツダへの入団を打診されていたのですが、既に田辺製薬への入社を決めていた僕は、その話をお断りしたのです。後に聞いた話ですが、そんな僕を今西さんは、ずっと見続けてくれていたそうです。田辺製薬での僕のプレーとともに、日々、どんな生活態度で練習に取り組んでいるのかを。そして、前述したサッカー部の廃部により、僕はプロサッカー選手として、マツダへ移籍したわけです。

「マツダ」、「サンフレッチェ広島」での現役時代、僕は大した活躍ができず、今西さんの期待を裏切ったのかもしれません。でも、そんな僕が今こうして、サンフレッチェ広島と何らかの形で携わっておられるのは、他でもありません、今西さんのお陰です。今西さんは昔、こんなことをよく言われていました。「一流のサッカー選手である前に、一流の社会人であれ」と。「現役を引退してからのほうが人生は長い。そのために、現役時から社会の一般常識を身につけることが大切だ」と。高校卒の若い選手たちに作文を書かせたり、人前で話をさせたりしていたのが、懐かしく思い出されます。この志は、これからも、サンフレッチェ広島のチームに残していかなければならない、と僕は思います。

今西さんは今後、大学において学生の指導や地方クラブチームのアドバイザーとして活動されるそうです。日本サッカー界の発展のために、力を注いでいただきたい、と思います。そして、若者の教育指導分野でのご活躍も併せて期待したいところです。

今西さん、お疲れ様でした。そして、本当にありがとうございました。