久しぶりに本の紹介を1つ。 本について日記を書くのは、本当に久しぶりです。最近はまったく読んでいなかったのかというとそうではなく、ちゃんと定期的に読んでいました。ただ、僕のハートをわし掴みするような本になかなか出会わなかったもので、ついつい書きそびれてしまった、という訳です。でもでも、出会いましたよ〜。素敵な本に! 中西輝政=著・『日本人としてこれだけは知っておきたいこと』(PHP新書)がそれです。 「戦後の自虐史観・戦争認識・皇室問題・日本文明」。大きく分けて、この4つに的を絞って著者の意見がまとめられています。特に僕が印象に残ったのは、第3章の「日本人にとっての天皇」。これまで以上に、日本人にとっての天皇の存在意義を深く感じることができました。今回は、その中の1つを紹介したい、と思います。 例えば、天皇による内閣総理大臣の任命について、どれだけの人がその意義を理解しているでしょうか? (僕もこの本を読むまでは知りませんでした) 以下、少々長くなりますが説明しますね。
アメリカ大統領やロシア大統領の就任式では、就任演説の前に必ず聖書や聖職者が関与します。アメリカですと、大統領は、聖書の上に手を置き、反対の手を民衆の方にかざして宣誓します。ロシアの場合は、ロシア正教の大主教が儀式の香を振りかけ、ロシア正教会の祝福のお祈りの中で大統領の就任儀式を執り行います。つまり、「聖なるもの」にどこかで結びつかなければ、最高権力者というのは成り立ちえないのです。そして、日本では天皇が、聖書や大主教と同じ役割を果たしているということです。天皇陛下にお言葉をかけてもらい、任命されて初めて、日本国の総理大臣は「聖なるもの」に結びつくことができるわけです。では、なぜ、そのような宗教儀式が必要とされるのでしょうか? それは、彼らが、これから最高権力者になろうとする人物だからです。つまり、最高権力者には、何か「人事を越えるもの」、「人間の次元を超えるもの」によって、内面から歯止めをかけなければなりません。道徳、モラル、宗教、そういった精神的なもの、神秘的なもので拘束しなければならない、という考えがあるわけです。ですから、天皇制がもし廃絶されたら、最高権力者に歯止めをかけるという政治の根本のところで、日本はたちまち困難に直面してしまうでしょう。日本の場合、ヨーロッパやロシア、アメリカのように「国教」といえる宗教がないからです。(188〜190頁)
この他にも多くのことが書かれてあり、あらためて、日本は「天皇」という存在を中心に成り立ってきたのだ、と思いました。「いかなるときでも、つねに国民と共にある」という精神をお持ちの「天皇」が日本には存在します。 このことに対し、日本人はもっと感謝し、そして、誇りを持ってもいいのではないでしょうか? そんなことを考えさせてくれる、素晴らしい本です。
|