円高・株安が止まらない危機的状況下であるのにもかかわらず、今の管首相の頭の中は、9月の民主党代表選のことでいっぱいのようです。
管首相が再選続投するのか、それとも小沢氏が出馬して一波乱あるのかわかりませんけど、どちらが選ばれようとも期待できないというのが、国民大多数の意見ではないでしょうか。
ところで、今さらながらではありますが、管首相による「日韓併合100年」の首相謝罪談話について、今一度、物申したいと思います。
管首相をはじめとする日本の国会議員さんの多くは、日韓併合についてどう理解されているのでしょうか?
談話は、「(日本の)植民地支配によって、(韓国の人々は)国と文化を奪われ、民族の誇りを深く傷付けられた」として、「多大の損害と苦痛」に対する「痛切な反省と心からお詫びの気持ち」を表明しています。
物事には、常に“光”と“影”の両者が存在します。それを“影”の部分だけことさら大げさに言い、“光”の部分は全くなかったかのように完全無視するのは、どう考えてもバランス感覚に欠けていると僕は思います。
では、日韓併合における“光”の部分とは、どういったものなのでしょうか?
8月18日の産経新聞のコラムに、拓殖大学客員教授の藤岡信勝氏が、日韓併合の真実を的確に述べていらっしゃいましたので、一部を紹介します。
藤岡氏が言わんとすることを一言で表現するなら、「朝鮮の近代化は、日韓併合後の日本統治によって初めて実現した」のです。
戦争に勝った国は、講和条約の最初の条文にその国が最も欲することを書き込みます。では、日本の場合はどうだったのでしょうか?
日清戦争の戦勝国の日本が日清講和条約で書き込んだのは、領土でも賠償金でもなく、「清国ハ朝鮮国ノ完全無欠ナル独立自主ノ国タルコトヲ確認ス」という文言でした。
日本が最も求めていたのは、朝鮮国の清国からの独立でした。そのために、日本は朝鮮国に対して、さまざまなことをやったのです。
まずは教育。韓国人は「日本は併合時に韓国からハングルを奪った」と主張しますが、実際は逆で、識字率の低かった朝鮮に学校を建設し、ハングルを普及させたのは、ほかならぬ日本の朝鮮総督府なのです。
また、日本と合併する以前の朝鮮は貧しく不衛生な未開の地でしたが、日本によって鉄道や発電所、病院などが建設、農地も整備され、朝鮮の暮らしはぶりは劇的に向上したのです。これらのめざましい発展は、統治期間に政府を通じて日本国民が負担した資金投入によってもたらされました。その額は、現在価値に換算して60兆円を超えると言われています。
これらのことをまったく無視したかのような、日韓併合100年の首相謝罪談話は、わが国の先人の苦闘の歴史を冒とくするものであると同時に、日本統治下で近代化に努力した朝鮮の人々の奮闘をも侮辱するものである、と藤岡氏は述べておられます。
そして、僕はこう思うのです。
日本として「日韓併合100年」の談話を発言するのであれば、「謝罪と反省」ではなく、韓国の努力と発展に対する「敬意と祝賀」の表明ではなかったでしょうか。それが、日本と韓国の近未来志向的なものの考え方だと思います。
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