連日、テレビで「東電問題」や「原発問題」が報道されていますが、どのテレビニュースを見ても、「原発は危険」、「悪いのは東電」といった報道一色になっているような気がしてなりません。しかも、そこに出てくるコメンテーターという肩書きの人たちの論調は、ほぼそれに沿っています。
一昔前までは「原発推進派」だった人が、コロッと意見を変えて「反原発推進派」として、連日、テレビ各局に出ているのを見ると、何だかシラケテしまいます。
「わずかな危険があれば、再稼動は絶対に許さない」という人たちの言いたいことは、よくよくわかっているつもりです。
でも、それは、感情論であって、ヒステリックに叫んでいるようにしか、僕は思えません。危険と裏腹に便利さを享受していることを僕たち現代人は、認識すべきだと思うのです。
原発も安全対策を強化し、それが確認され、事故対策がとられたものから再稼動させるべきではないでしょうか。その上で、享受できる利益に比べて、危険が大きすぎると判断するのなら、そのときはじめて、「脱原発」を進めればよいのではないでしょうか。
そんなことを感じていた折、『テレビに破壊される脳』(精神科医・和田秀樹)という本を何気なく読んでみました。
そこには、原発関連のテレビ報道に対する著者の疑問が投げかけられていますので、いくつかを挙げてみましょう。
●危険性ばかりをあおる放射能報道 ●検証せず「放射能は危ない」を繰り返すテレビ ●低線量の放射能は本当に危険なのか? などなど…
テレビ報道やコメンテーターの意見をすべて丸のみに信じるのではなく、さまざまな角度から情報を入れて、自分なりに考えることが大切だ、ということなんでしょうね。
テレビに出演している僕がこんなことを言うのも何だかヘンですけど、テレビ報道を今一度、疑いながら観ていこうと思います。
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